• 和具を見守り続ける示現山 観音堂

     志摩市志摩町和具の高台に鎮座するこの観音堂は、空海の開いた真言宗その宗派として開山された志摩市で唯一の観音堂です。正式名称は「示現山観音堂(じげんざんかんのんどう)」と呼ばれています。和具にあるため「和具観音堂(わぐかんのんどう)」と呼ばれています。
     創建は古く鎌倉時代(西暦1200年頃)だと言われており、享保5年(1717年)、天保10年(1839年)、大正6年(1917年)、昭和12年(1937)年)に大規模改修をされて今に至る、志摩屈指の古刹です。

     この観音堂は檀家を持たず、祖先の個々の墓を祀ることもないので、地域の人々の厚い信仰心だけの支えによって永く続いてきました。とりわけ志摩という土地柄、海で働く人々を中心に大漁祈願、航海安全や五穀豊穣の祈りを捧げられてきました。もちろん病気平癒や厄除け祈願など地域の人々の生活に密着した「祈りの場」「霊場」としての役割も担ってきました。「示現山」というのは「奇跡のある山」「奇跡の起こる場所」という意味であり、この観音堂の命名は数々の奇跡が起こったり、人々の願いがかなった霊場、今でいうパワースポットであったことがその由来だと思われます。

     この観音堂には国や三重県に文化財として指定された、平安時代に造られた仏像が何体もあります。志摩では昭和55年に阿児町安乗の人形芝居、平成2年になって磯部町のお田植神事、平成29年には海女漁の文化が国の重要無形民俗文化財として指定されました。しかしすでに昭和30年代に国の重要文化財に指定された「有形の文化財」があるのは、ここ和具観音堂だけです。さらに三重県指定の文化財の仏像が二体もあるため、文化財的な価値観から長らく秘仏とされてきました。そのために拝観できる機会はそう多くなかったので、その存在や価値が地域の人々でさえもあまり知られていません。
     これからは、定期的に仏様をご開帳する機会を増やして、地元の人はもちろん他のたくさんの人たちにも「地域の宝物」を知ってもらうとともに、人々の「祈りの場所」を提供する機会を増やしています。

     21世紀を迎えても世界中で戦争はなくなりません。科学技術の急激な進歩の一方で、日本全国で過疎化や少子高齢化の波は打ち寄せています。私達には物質的な豊かさとは裏腹に、なかなか精神的な平穏が訪れません。私たちは釈迦の生まれた時代と同じように日々悩み苦しんでいます。だからこそ人々は心の豊かさを求め、そして次元残和具観音堂は人々を救済する祈りの霊場として、さらに必要になっていくのだと思います。